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「源平の合戦」と通称されている「治承・寿永の内乱」をくぐり抜け、本格的な武家政権の時代へと突入します。東国に鎌倉幕府が誕生しても、京都の朝廷はまだまだ実力を持ち続けていましたし、また京都は日本最大の巨大都市でした。鎌倉時代に入っても、京都の重要性が失われることはありませんでした。JR京都駅の周辺の遺跡の発掘調査では、金属工業の職人の工房跡、さまざまな種類の商人の店舗跡、豊かな金融業者が残したと思われる大量の銭貨などが見つかっています。まさにこれは、工業のコンビナートであり、商業や金融の中心地でありました。京都は日本全国の経済的中心としての地位をますます高めていったのです。
鎌倉幕府が滅びると、後醍醐天皇による短い「建武の新政」の時期を経て、足利尊氏が新しい武家政権を開きます。後に「室町幕府」と呼ばれるようになるこの政権は、まさに「京都幕府」でした。京都は、再び日本の唯一の政治的中心としての地位を取り戻したのです。3代将軍足利義満を中心とする北山文化、8代将軍義政が主導した東山文化など、純日本風の文化が京都において花開いたのです。義満の邸宅である北山殿、そして義政の別荘だった東山殿はそれぞれ、後に寺院に改められました。これが、「金閣寺」「銀閣寺」の通称で知られる鹿苑寺と慈照寺です。
15世紀中ごろにおきた「応仁・文明の乱」は、京都の市街地を戦場として闘われた11年間の内戦で、これによって京都は大きな打撃を受けました。しかし、乱が収まると京都は見事な復興を遂げてゆきます。その主役となったのは、中世を通じて次第に実力を蓄えてきた「町衆(ちょうしゅう)」と呼ばれる市民階層でした。彼らは自分たちの盛り上がる力を誇示するためのパレードをおこないました。現在でも京都最大の祭として続けられている「祇園祭」の山鉾巡行がこれでした。
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