京都を学ぼう

京都の歴史 幕末~(同志社女子大学教授 山田 邦和)

幕末は政治の中心

二条城大政奉還 300年の永い間、おだやかに治まった近世の日本でしたが、欧米列強による圧力によって江戸幕府の体制は崩れていきます。開国か、それとも攘夷(外国人を排斥する思想)かをめぐって、国論は完全に二分されてしまうのです。その中で、自立の度合いを高めていった長州や薩摩といった外様の大藩も、また屋台骨がぐらつき始めた幕府自体も、京都の天皇が持つ伝統的な権威を担ぐことによって自らの勢力の維持をはかるようになります。これにより、京都は再び政治都市の座に復活するのです。幕末の数年間には将軍も京都に滞在することが多くなり、徳川政権は事実上「京都幕府」の様相すら呈していきます。そして、幕府と対立する立場に立つ諸藩も京都を舞台としてさまざまな政治工作を繰り広げることになります。土佐の坂本龍馬や長州の桂小五郎(後の木戸孝允)、薩摩の西郷隆盛といった志士たちや、あくまで幕府を守ろうとする新選組が活躍したのがこの頃です。

東京遷都で大きな打撃

 やがて江戸幕府は滅び、天皇を中心とする維新政府が誕生します。京都はこれで再び「首都」に返り咲くかに見えました。しかし、明治天皇は江戸を「東京」と改めてそこに遷(うつ)ってしまいます。事実上の「東京遷都」がおこなわれたのです。京都はこれによって大きな打撃を受け、30数万を数えた人口も20数万へと激減したといいます。

近代都市へ輝き新た

 しかし、京都はこの危機を見事にはねのけました。2代目知事の槇村正直(まきむらまさなお)、3代目知事の北垣国道(きたがきくにみち)といった強烈な指導者のもと、日本最初の小学校の設置、京都博覧会の開催、琵琶湖疏水建設、それにともなう水力発電の実施と市街電車の運行、赤煉瓦の近代建築の建設など、京都は全国にさきがけた新しい試みを次々に実行していったのです。これにより、京都は見事な近代都市として生まれ変わり、日本を代表する都市のひとつとして新たな輝きを放つことになりました。

日本文化象徴する都市

 太平洋戦争(第二次世界大戦)の時には、京都は空襲にほとんど合わず、結果的に貴重な文化財の多くは無傷のままで終戦を迎えました。現在の京都は人口約147万人。日本第7位の大都市であり、日本の伝統文化を象徴する都市となっています。