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京都の産業は、もちろんそれぞれが永い伝統につちかわれてきました。しかし、京都の人々が単に伝統を守ることだけにとらわれ、新しい時代の流れに目を向けていなかったと考えるならば、それは大きなまちがいです。
近代に入って、日本人は欧米の進んだ文化に驚きました。何とか欧米に追いつきたい、それが明治の日本人の悲願になったのです。早くも明治の始めには、西陣から若い織工たちが留学生としてヨーロッパに旅立っていきました。フランスやオーストリアで学んだ彼らは、そこからジャカード織機と呼ばれる新しい機械を持ち帰りました。それまでの西陣においては、織物の模様を創り出すためには人間の複雑な操作が必要でした。それが、ジャカード織機ではパンチカードというものを使って、自動的に模様をつくり出すことができるようになったのです。これは、まさに飛躍的な変化を西陣織に与えたのでした。友禅染にあっても、明治の職人たちはいち早く化学染料を導入し、華やかで美しい精細な製品を多量に作り出すことに成功したのです。
同じ明治初期、鴨川の西岸に「舎密局(せいみきょく)」と呼ばれる施設が造られました。「舎密」とは「ケミストリー」つまり化学のことであり、これは理化学の専門的な研究所だったのです。ここでは、陶磁器生産の技術改良、染料や薬品の開発、さらにはラムネ、石鹸、ビールの製造までがおこなわれていました。こうした休むことのない努力が、近代の京都の産業を支えていたのでした。
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